花遊ブログでティータイム
フラワーデザイン、お料理などの創作、出会い、旅行など、写真と文で綴ります。
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花遊(はなゆう)

Author:花遊(はなゆう)
岡山市内在住。人と楽しく関わることが大好き。夢は、古民家再生の工房を作り、そこでお花やクッキングなどをして交流の場を作ること。会社員の傍ら、フラワーデザイナーの資格を持ち教えていましたがお休み中。写真好き。目下、海外旅行と写真撮影にはまっています。

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両親と辿るヒロシマ
「暑い季節を迎える前にヒロシマへ行く?」
父が67年前、広島駅で被爆して今日まで「遠い地」だった広島。
最近になって「変貌が見たい」という気持ちになった父の想いを叶えるドライブに出かけた。

最初に訪れたのは父の母校である崇徳中学校。
開学以来、親鸞聖人の教えに基づく「崇徳興仁(そうとくこうにん)」を教育理念に掲げ、現在は中学校・高等学校併設で文武両道の私立の学校として全国的に有名です。

《写真は崇徳学園HPより拝借》
800px-Sohtoku_junior_and_senior_high_school_01_convert_20120527222442.jpg

当時、父は両親と共に呉市天応に住んでおり、現在、広島市西区楠木町にある本校まで毎日通っていました。
軍需に沸いていた呉の中学校には人数が多くて通えず、片親や家庭環境の不遇な子供が近くの中学へ通っていたと言います。
通学といっても学徒動員で、同じく楠木町あった「水田金網砥石工場」で勤労奉仕をしていました。
その通学途中、広島駅で友達と待ち合わせ、乗換えた電車の乗降口に座ってトマトを食べていた時に原爆がさく裂したのでした。

爆心地から北北東へ2.2kmにある校舎は燃えてしまいました。
当然、面影すらない近代的な校舎に生まれ変わっています。
せっかく来たのだから、校舎内へお邪魔し、原爆死没者供養塔へお参りさせて頂くことにしました。

DSC_0005_convert_20120527220948.jpg

広島原爆戦災誌による崇徳中学校生徒の被災状況は、
学徒動員先での即死者510名、重軽傷者46名、行方不明0名、動員外での重軽傷者44名とあり、生徒600名のうち85%が即死という凄惨な状況であったことが分かりました。

父は爆風で吹き飛ばされ背中を負傷、後にケロイド状態で膿に悩まされても、今日まで生を頂いて来れたことは、わずかな居場所の違いによる運命に救われたのでした。

用務員の方にお話を伺うと、毎年、広島平和記念日には在校生が供養塔で慰霊祭を行って下さっているそうです。
私たちもそっと手を合わせました。

DSC_0002_convert_20120527220920.jpg

崇徳学園を後にし「確かこのあたりに砥石工場があった」とか、当時の記憶を辿りつつ、広島の街を走りました。
足腰が弱くなってきている両親は、歩くことが億劫になってきているので、車窓からの眺めとなり、原爆ドームから平和公園周辺をゆっくりと2周しました。
市内の木々は新緑に包まれ、とても緑豊かな街並みに平和の象徴を感じました。
原爆ドームは、戦争の愚かさを忘れてはいけない大切な世界文化遺産のひとつです。

DSC_0006_convert_20120527221009.jpg

広島市内から呉へ向かう高速に乗り、坂北ICで降りました。
父一家は、岡山から軍需景気に沸く呉市天応へ移り住み、祖父は呉工廠の事務員、祖母は産婆をしていました。
祖父は小柄で、徴兵検査に受からなかった為、出征を免れました。
一方、母方の祖父は妻と5人の子供を残し出征、どこで戦死したかさえ分からないと言います。
両親はともに戦争の傷を抱えています。

海岸沿いを走る呉線に並行して車を走らせていると、機銃掃射に遭った事を話してくれました。
男女が同じ車両に乗れなかった時代、父達男子の乗った車両は後ろの方。
機銃掃射を避けるために先頭車両が短いトンネル内で止まると、トンネルから出ている後部車両から前方へ慌てて車両内を走って難を逃れた事が何度もあったといいます。
それでもやんちゃな少年時代、突堤から海に突き落とされたことがきっかけで泳げるようになったことなど、海沿いでの生活を懐かしんでいました。

呉市内のスーパーでお弁当を買って、次の目的地である灰ヶ峰(737m)へ上がることにしました。

写真正面の山です。
DSC_0013_convert_20120527221033.jpg

カーナビに任せて上がった山道は、対向できない細い道でヒヤヒヤしながら山頂へ到着。
(下山時は広い道を降りたので、変な道を案内されたことに気づきました)!!
駐車場は5台ほどあり、気象レーダーがど~んと建っていました。

第二次世界大戦中、この山は軍港呉を空襲から守るための海軍の高射砲施設があり、一般人は立ち入り禁止でしたが、父達は砲弾を運ぶ手伝いもしていたようです。
頂上の展望台は、元高射砲台の基部が使われています。

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霞みがかかっていましたが、眼下に広がる呉市街地、瀬戸内海が一望でき、素晴らしい景観です。
夜景も素晴らしいようで日本夜景100選にも選ばれています。

灰ヶ峰が呉の街を懐に包み守っているようですね。

「高射砲で敵機は撃ち落とすことできたん?」って聞くと、
「何が撃とせりゃあ。狙ってもスピードが違わあ。当たるもんか」。

何としてでも軍港呉を守る。
この山は重大な役割を担っていたことに間違いありません。

DSC_0015_convert_20120527221123.jpg

景色を眺めつつ、お弁当を頂きました。
両親にとっては景色もお弁当の一部です。
そして、父の口からは広の町の沖に浮かぶ情島(なさけじま)での信じられない人間特攻の話が出てきました。
これはまた後日、書き改めることにします。

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ゆっくりと灰ヶ峰で過ごし、父がグリーンピアせとうちへ寄って帰ろうというので、竹原方面へ向かって帰路につくことにしました。
広島は今、大河ドラマ「平 清盛」で盛り上がっています。
このグリーンピアせとうちの沖合でロケをしたことから、平家軍の和船が本館前に、海賊船が桟橋に展示公開されています。

DSC_0034_convert_20120527221209.jpg

「お父さん、ちょっと顔出してみて」
嫌がるかな?と思っていたら、ヌッと顔を出してくれました。

松山ケンイチならぬ、ケイイチ清盛。
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帰りの高速では、福山SAで休憩。
バラの街福山だけに、SAにもバラのお庭がありました。
見頃を迎え、花が咲き競っていい香りを漂わせていました。

原爆のつらい過去を辿っての日帰りドライブでしたが、戦時中以外の話もたくさん聞くことができました。
また、折をみて両親をドライブ旅行に誘いたいと思います。

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