花遊ブログでティータイム
フラワーデザイン、お料理などの創作、出会い、旅行など、写真と文で綴ります。
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花遊(はなゆう)

Author:花遊(はなゆう)
岡山市内在住。人と楽しく関わることが大好き。夢は、古民家再生の工房を作り、そこでお花やクッキングなどをして交流の場を作ること。会社員の傍ら、フラワーデザイナーの資格を持ち教えていましたがお休み中。写真好き。目下、海外旅行と写真撮影にはまっています。

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7.いよいよマラッカ
海が見え始めた。
海のシルクロードとよばれるマラッカ海峡に多くの船が行きかう。
海の向こうはインドネシア。

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ヨーロッパとアジアの中継点のマラッカは、多くの民族、さまざまな文化の融合が見られる楽しみにしていた町。

図書館で偶然見つけた1冊の本。
「マレー半島 美しきプラナカンの世界」
装丁に惹かれ、マレー半島は旅行先でもあるし、プラナカンとは何だろう…早速借りた。

プラナカンとは、昔、中国からマレーシアに来た人が現地の女性と結婚し、その子孫の男性をババ、女性をニョニャという呼ぶ総称なのだそう。
このきれいな装丁の刺繍をはじめ、ビーズを緻密に刺繍した靴とか、ニョニャウエアと呼ばれる陶器など、本との出会いでプラナカン文化に興味を持った。

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マラッカに着いて、昼食はニョニャ料理。
中国とマレーシアの融合した料理と考えればいいのだと思うけど、詳細な違いはよくわからない。
どれもとても食べやすく、ツアー仲間には好評でした。

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このエビの入ったカレーは結構スパイシー。
辛いけどココナッツミルクの甘みが食を増し、とても美味しい。
お皿はからっぽに。
また、茶色いシロップのかかったチェンドル(かき氷)が、地味な割には意外な美味しさにみんなびっくり。
グラマラッカとよばれるココナッツシュガーでできたシロップが味の決め手でした。

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チャイナタウンへ。
残念なことに通りを歩くだけで、私が楽しみにしていたプラナカンの世界は全く接点なし。
ツアーだとこういうところが残念。
自由時間欲しかったな。

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青雲亭(チェン・フーン・テン)はマレーシア最古の中国寺院。
導教、儒教、仏教の3つのお堂があり、中国移民の心のよりどころとなっているそうです。

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歩いていくとオランダ広場が見えてきました。
多くの人出で賑わっています。

1511年、マラッカ王国が陥落しポルトガルの植民地となる。
1641年、ポルトガルの支配が終焉し、オランダの植民地となる。
1824年、マラッカがオランダ支配から英国支配に移行する。
1826年、シンガポール、ペナン、マラッカの3都が海峡植民地となる。
1867年、海峡植民地がイギリス植民地となる。

マラッカは1641年から180年以上もオランダ統治下で、このオランダ広場は当時漆喰の白い色であったのに、イギリス統治時代にこの赤い色に塗られてしまったという。理由は分からないらしい。

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階段を上がり、オランダ建築の「スタダイス」の建物を見た後、丘に上がっていく。

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マラッカ海峡が望める。

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そして、丘の上には聖フランシスコ・ザビエルの像が建っていました。
スペインを発ったザビエルは、南アフリカ~インド、そしてこのマラッカ海峡を通って中国~日本と布教の道を辿りました。
このマラッカで、日本への布教を決意したとも伝えられています。

イタリア製大理石のザビエル像には、右手首がありません。

落雷によって大木が倒れ、右手に当たったとか、直接、落雷にあったとか諸説あるようですが、多くの人に洗礼を施したザビエルの右腕は「聖腕」と呼ばれ、インドのゴアに安置されている遺体と切り離され、ローマのジェズ教会に安置されているということで、右手を取り巻く不思議な話です。

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セントポール教会は外壁のみを残しています。
ポルトガル人の船長が命が助かったことに感謝して建てたそうですが、オランダ侵攻の際この教会だけが残ったということです。
また、ザビエルが亡くなった後、教会の地下に遺体が安置されていた時期もあり、その安置場所を見ることもできます。
このように外壁を残しただけの無残な姿になったのは、イギリス統治時代に火薬庫として使われ廃墟化したそうです。

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教会の丘から階段を下るとサンティアゴ門が残っていました。
マラッカ王国を破り、ポルトガルがこの地を制圧したものの、王国の残党による幾度もの攻撃の為、ポルトガル人はア・ファモサと呼ばれる砦を建設し、その中にポルトガル人の街が作られていました。
敵の侵攻を阻むためにラテライトという鉄・アルミを含む石で3m以上の厚さの壁の要塞だったそうです。
やがてイギリス人によって破壊され、今では門の一つ、このサンティアゴ門が残るのみとなっています。

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町にはこのようなド派手なサイドカー付き自転車「トライショー」がたくさん走っています。
造花をたくさん取り付け、中にはシート後方に巨大スピーカーを付けて大音量で走るものもあります。
これに乗ってぐるりと一回りすれば、足が疲れなくていいですね。

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アビリオン・レガシー・マラッカホテルに到着。
お部屋に入ってから夕食まではフリータイム。

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私たちの部屋からは、遠くにマラッカ海峡が望めました。

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ここでもすぐにマーケットへ。
道を挟んでホテルのすぐとなりにマーケットがあり、ここでもあれこれとお買いもの。
現地通貨のコインを使いきるのにも助かります。

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晩御飯は、ホテルからバスでレストランへ。
スチームボートという鍋料理でした。

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テーブルでスチームボートを囲むのかと思っていたら、そばのテーブルで作ったのを茶碗に取り分けて運んでくるという提供のしかたでした。
茶碗1杯がすっごい待たされた挙句、結局、3杯でおしまい。
だったらまだ、中華料理をみんなで食べる方が良かったのにな。
後からお腹がすいた人も多かったみたい。


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