花遊ブログでティータイム
フラワーデザイン、お料理などの創作、出会い、旅行など、写真と文で綴ります。
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花遊(はなゆう)

Author:花遊(はなゆう)
岡山市内在住。人と楽しく関わることが大好き。夢は、古民家再生の工房を作り、そこでお花やクッキングなどをして交流の場を作ること。会社員の傍ら、フラワーデザイナーの資格を持ち教えていましたがお休み中。写真好き。目下、海外旅行と写真撮影にはまっています。

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夏の京都3 「角屋もてなしの文化美術館」 島原界隈
京都3日目は、姉情報により花街(かがい)の趣を残す下京区西新屋敷揚屋町へ。
西本願寺の西側~JR丹波口駅にかけて「島原」と呼ばれるエリアです。

島原の呼び名は、花街(かがい)がこの地へ移転した時の騒動が、
4~5年前に九州でおきた島原の乱を思わせた事からついたそうです。

江戸期以来の公許の花街(歌舞音曲を伴う遊宴の町)として発展してきた町で、
揚屋建築の唯一の遺構として、国の重要文化財に指定されている「角屋(すみや)」は、1985年まで、宴会業務を行っていたそうです。

花街への東の入り口「大門」
当時、ここから先は、遊宴の活況を呈したのですね。

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路地を行くと置屋の「輪違屋(わちがいや)」があります。
ここは、外観だけしか見ることができません。

以前、TBSの二夜連続ドラマで、「輪違屋糸里~女たちの新撰組~」が放映されたということを姉が教えてくれ、浅田次郎さんの原作も読んでみたくなりました。

さて、置屋(おきや)とは。
太夫や芸妓を抱え、揚屋に派遣するところ。
つまり、置屋の輪違屋にいる太夫や芸妓が、揚屋の角屋へ赴くというシステム。

置屋ではお客様を迎えることはしなかったのですが、
明治以降はお茶屋業に編入され、
お茶屋業を兼務する置屋では、宴会業務も行うようになったそうです。

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維新の石評表題 「長州藩志士 久坂玄瑞の密議の角屋」
石評裏面文
「久坂玄瑞は 吉田松陰の義弟 松陰死後塾徒を率い 尊攘に挺身 
 文久政変に山口へ七卿落ちを斡旋するも 元治元甲子年七月 
 蛤御門の変に遭い 壮烈な死を遂げた 享年二十五 
 角屋は玄瑞が屡々暗殺の難を避け潜行密議した場所である」 
… パンフレットより …

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「角屋もてなしの文化美術館」は、所蔵美術品の展示見学をはじめ、角屋建物内を見学することができます。
開館期間が設けてあり、今年は3月15日~7月18日、9月15日~12月15日。
タイミング良く開館期間中であったことがラッキーでした。

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入館料は¥1000。
ケースに収められている展示品は、写真撮影禁止ですが、他は撮影OKとのこと。

門口から中戸口(台所へ入る内用の玄関)の造りに驚きます。
突出の柿葺のひさし、両脇の高木は「えんじゅ」、
赤壁の上方、櫛形窓は、黄色の大津磨き壁に縁取られ、目を奪われます。

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暖簾の家紋は、蔓三つ蔦(つるみつつた)。
当時、中戸口に掛けられてたようです。

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中戸口の右手には、やや斜めに敷石が敷かれ、来客用玄関へ続きます。

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敷石横の角には、刀傷の跡が。

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中戸口を入ると、とても広い台所にびっくり。
天井から下がっている照明器具は「八方」といい、
灯芯を種油に浸して明かりをとっていたそうです。
部屋が広い分、傘も大きい。

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この奥で靴を脱ぎ、角屋の台所~御座敷へと見て回ります。

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角屋は、置屋から太夫や芸妓を呼んで宴会を催す場、今でいう料亭にあたり、
台所の広さ、かまどに羽釜5つが並ぶところを見るだけでも、
いかに大規模な宴会、たくさんのお客を集めていたか、知れる所です。

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この玄関を新撰組や幕末の志士達が、上がっていったのですね。
ちなみに角屋は予約制だった為、鉢合わせしないよう店側の配慮が行き届いていたようです。

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玄関を上がるとすぐに刀掛が。
脇には刀箪笥といって引出しに刀がしまえるようなタンスもありました。

刀を置いてゆっくりと宴会を楽しんでいたらしいのですが、
新撰組だけは付けたまま上がることも許されていたとか。

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内庭
庭を楽しむのに邪魔をする雨戸用の柱が角になく、
扉がくるりと90度折れて運ばれていく作りになっています。

DSC_0155_convert_20100726072355.jpg

松の間(広さ43畳)
ここで角屋保存会の方が、説明をしてくださいます。

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松の間からは、主庭が眺められます。
臥龍(がりょう)の松は、昔は1本の松が龍のように形つくられていたそうですが、
大正末に枯れてしまい、現在は3本の松で当時の枝ぶりを復元しています。

奥には茶室2室もあります(非公開)。

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私も姉も、花街=遊郭=花魁という漠然としたものしかありませんでしたが、
説明によりその違いを認識することができました。

業務内容で「花街(かがい)」と「遊廓(ゆうかく)」の二つに分けられて、
島原は「花街」で、歌や舞を伴う遊宴の町。
東口の大門につぎ、西口もでき、劇場が開設されると一般女性も入ることができた開放的な町。

一方、吉原で有名な「遊廓」は、歌や舞もなく、宴会もしない、歓楽のみの町。
周囲に10m幅の堀を設け、入口を一つにして遊女を厳しい管理で閉じ込めておく閉鎖的な町。

太夫(たゆう)と花魁(おいらん)の違いは、
太夫は、傾城(けいせい)の芸妓部門の最高位。
傾城は官許により、遊宴の席で接待する女性で、
舞や音曲のほか、お茶、お花、和歌、俳諧などの教養を身に付けています。

花魁は、芸を披露しない為、歌舞音曲を必要としない娼妓部門の最高位。

太夫の帯は前に「心」と結ぶのに対して、花魁の帯は前にだらりと垂らして結ぶ、という違いもあります。

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この後、運よく2階の見学(予約制、別途¥800必要)もでき、お昼を食べた後に再入場しました。

2階には、網代の間(28畳)、緞子の間(23畳)、御簾の間(口の間・12畳、奥の間・10畳)、扇の間(21畳)、馬の間(9畳)、孔雀の間(非公開)、八景の間(6畳)、梅の間(非公開)、青貝の間(17畳)、檜垣の間(14畳)、と1階のお座敷以上に素晴らしい造り、装飾、襖絵など内容てんこ盛りで解説と間近に見ることで、酔いしれます。

ただし、2階では一切、写真撮影不可の為、残念ながら写真はありません・・・

暑い中での角屋見学でしたが、後に予定を入れていなかったので、
ここで当時の様子に思いを馳せつつ、ゆっくりと過ごせて、大満足でした。

京都3日間のブログ、いつになく力が入りました。
買い求めた「角屋案内記」やパンフレット等から、一部引用させて頂きました。
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